カテゴリ:飛騨の昔遊び( 77 )

飛騨の昔遊び イナゴ採り

今でも信州の土産にイナゴの甘露煮があり、時々買ってみる。
昔はイナゴの甘露煮は自宅で作ったもので、イナゴ採りに暇な子供が選ばれたのは当たり前だった。
手ぬぐいを半分に折って縫い合わせた袋に、竹筒などを刺して、入れたイナゴが這い上がらないように工夫して、いざ田んぼへ・・・。
間もなく稲刈りを迎える実った黄金色の稲の葉に、イナゴは止まっているのだが、素手で捕まえようとしてもすぐに逃げられる。
イナゴ採りは朝早くの動きが鈍感なうちが良いのだが、それでも命の惜しいイナゴは逃げ足も速い。
何度か空気を掴まされてるうち、だんだんとコツを飲み込んでゆく。
後ろから捕まえるのではなく頭から、ぼやぼやしてないで素早く!。
イナゴの吐く醤油のような液体で手を染めながらの奮闘の結果、ようやく晩御飯のおかずになる程度の収穫を得て家に。
甘辛に煮付けたイナゴはお酒の肴にはピッタリだが、もちろんその頃はお酒の味も知らず・・・。
ただカルシュムの補給に・・と。そんなことばかり聞いて食べたものだ。
しかし後ろ足が鋸状になっているため、口の中が痛い。後足を取って食べてると「勿体無い!」の母の声。
後足さえなかったらな~とぼやきながらも・・・。
今ではそんなことは気にしないで後足は取って食べる。
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写真はミヤマフキバッタで、羽根が短いので食べても口に触らず柔らかな感じがしたが、田んぼではあまり見なかった。
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by yoas23 | 2006-09-28 10:27 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 隠れ家

昔の子供というのは、自分達だけの小さな空間が好きで、路地の奥まった場所のような所に、板切れなどを持ち込んで隠れ家を作ったりなんかしたものだ。
またツリーハウスよろしく枝振りの良い木を選んで、樹上にまでも小屋を造って遊んだ。
特に秋もこの時期には、稲刈りが終わり脱穀した藁が田んぼに堆く積んであり、これ幸いとその中に洞穴のように空間を作ったりした。
田んぼの持ち主もその事を知ってはいたが咎めることもなかった。
どうせ細かく切って肥料にする藁だからと大目に見てくれたのだろう。
今であれば大叱られの悪戯であるが、当時は人皆穏やかな時代だったのだ。
ただ首筋に入った藁屑のお蔭で家に帰ったからも痒い思いをしたのは言うまでも無い。
今はコンバインで藁屑はたちまちのうちに細かく砕かれてしまい、藁の束すら見られない時代である。
現代の子供たちも自分の部屋が持てるようになったので、敢えて小屋造りはしなくて済むようだが、何となく寂しい感じもする。
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by yoas23 | 2006-09-24 10:26 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 大運動会 (運動足袋と紅白饅頭)

最近の小学校の運動会は早く、9月に入るのを待って行われる。
昔は10月が当たり前で、薄っすらと紅葉しかけた頃で真っ青な秋空が眩しかった。
グランドでの行事のため雨天順延となることもあったが、大事な年間行事であるため、中止になることは先ず無かった。
当日は普段より早く目が覚めたのは言うまでも無く、少々寒かったが真っ白なランニングシャツにトレパン(トレーニング・パンツといって白い運動用の長ズボン)、それに足元は運動足袋、頭には紅白帽子という出で立ちでいざ出陣となる。
紅白帽子は今ではそんなものはあるかどうか分からないが、裏返せば赤くも白くもなる帽子であり、男子は帽子を、女子は紅白襷をバンダナのように頭に巻いて各組に分かれた。
運動足袋も現在ではもう無いが、スニーカーなどの無い時代は運動の時の履物と言えば皆足袋だったのである。
校長先生や来賓の挨拶の後、大会はプログラム通りに進み応援合戦にも熱が入り、「♪八幡様に願かけて~おみくじ引いて問うたなら~何時も赤の方が勝ち、勝ち、勝ち、・・・」などと大声での応援が続く。
お昼には父兄がお弁当を持って観戦に来るのが普通で、子供もその日ばかりは給食ではなくピクニック気分で父兄との昼食の輪に加わった。
リレーや綱引きの後、最後は騎馬戦や大玉送りで幕となったのであるが、途中から騎馬戦は怪我をするといけないので・・・と、中止になる学校が多かった。
また父兄による仮装行列など、今では信じられないような出し物もあったのである。
大会を終えて各自に配られる紅白饅頭が、当時は何よりもの楽しみであり、手にした重みを感じながら家路を急いだものだった。
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by yoas23 | 2006-09-10 07:13 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 台風の後は・・・

二百十日が過ぎて二百二十日に差し掛かるこの時期が、台風が本土を直撃する頃であり、かつての名だたる台風はこの時期に多く通過している。
幸い高山市は山に囲まれているせいか、大した被害は出ないのであるが用心だけは一人前にした。
昔の家は何処も今のように頑丈ではなく、高山では出格子の家が多く、台風の到来に備えて板や筵などを打ち付けて風雨から保護し、停電用にロウソクも備えていざ・・・。
台風は不思議と夜間に通過することが多く、そんな夜は風雨が増し轟音を響かせ、気持ちが昂ぶって何時までも寝付かれないのが普通であった。
私には幸い遊び相手の弟がいたため、停電になっても影絵などをして遊んでいたが、時折強く吹く風は屋根のトタン板を伝わって、剥がれるような音を立てるため、気も縮む思いで通り過ぎるのを待った。

無事に迎えた台風一過にはまた楽しみもあった。
近くのお寺の池が水で溢れ、鮒が小川に流れ出るので、しょうけ(ざるのようなもの)を持ち出して、流れにあてがってたくさんの収穫を得たし、また栗の実の時期であれば早速栗拾いにも出かけたりした。
驚くほど地面に一面に落ちた栗の実を夢中で掻き集め、台風の恩恵に預かったが、台風の影響は他にもあり、屋根が飛ばされた家もあったり、木造の橋が流されてしまうことも度々であった。
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by yoas23 | 2006-09-04 19:46 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び キャンプ

子供の頃、家以外で寝る冒険のような経験はキャンプであり、夏休みの行事として楽しみにしたものである。
キャンプ場のような場所は昔は少なく、普通は郊外の川の畔や高原が選ばれることが多かった。
目的地に着くと各自分担を決めテントを張る者、薪を集める者、それに炊事当番などに分かれての作業は団体生活の一歩としての習得である。
何よりの楽しみは夕ご飯で、メニューはほとんど人気のあるカレーライスだった。
今では使わなくなったが、飯盒を真っ黒にして炊いたおこげのあるご飯も、少しシャブシャブになったカレーもまた野外で食べれば美味しいものである。
焚き火を囲んでのキャンプ・ファイヤーでは、合唱やフォークダンスなど・・・次から次へと脳裏をよぎる。
テントはと言えば、催し物用の大きなテントで皆で雑魚寝である。
就寝時間になってもなかなか寝付けられず、ワイワイガヤガヤ・・・、そのうち怪談を始めるやつがいて、怖がる女の子にますます煽られ、その結果父兄からお目玉を食らう羽目に・・・。
それでもまるで修学旅行の夜みたいに、賑やかに夜が更けていったのである。
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by yoas23 | 2006-08-26 05:54 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 町内会のこども相撲

夏休みには町内会としてラジオ体操と共に子供相撲の行事があった。
もちろん女の子は参加することもなく観客に回る訳ではあるが、現代であれば男女不平等と訴えられるところだ。
この時期公民館の空き地には俄かに簡易土俵が作られ、夕方になると係りの人や先輩達が、小太鼓を叩きながら「ちょうないかいの・おおずもう・こずもう・・・」と口ずさんで町内を練り歩く。いよいよ相撲大会開始の合図だ。
夕食ももどかしく裸になって母にさらしを巻いてもらう、さらしの無い子は浴衣の帯を使っていたりして、それでも誰笑うことなど無かった時代だ。
土俵に砂では痛かろうと、おが屑を蒔いてもらいいざ土俵へ。塩も貴重だったので蒔くのは一回だけ。
力いっぱいぶつかってもなかなか勝負が付かないこともあり水入りの大相撲に・・・。力の似通った子が多かったのだろう。
戦後間もないベビー・ブームの頃だから、近所にはいくらでも同級生がいた時代で、夜遅くまで裸電球の下、相撲大会は続いた。
雨の日を除いて毎日15日間の取り組みの結果、成績によって千秋楽には商品が手渡されたが、それはノートであり、鉛筆であることが多かった。
しかし賞品を貰うより毎日の取り組みの方が楽しみだったように思う。
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by yoas23 | 2006-08-11 06:00 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び アイスキャンデー

鉦の音が「チリンチリン」と聞こえる。
次いで「♪キャンデー・キャンデー・アイスキャンデー」の声も。
売主は自転車の荷台に大きな箱を載せ、幟にはアイスキャンデーの文字がある。
強い日差しに先ほど蒔いた打ち水が、まるで嘘のように乾き切ってしまい、道路の先には陽炎が見える。
アイスキャンデー売りや金魚売りは夏の風物詩だった。
また、たまには粗末であったがアイスクリームも売りに来た。半円型の小さなモナカの皮にへらで掬って入れてくれるもので、こちらはキャンデーの5円より高く10円もした。
金魚はシーズンに一度買えば良いのだが、アイスはそうは行かない。
一日のうち早くに、子供に小遣いをせがまれ渡してしまった親にしてみれば、午後に来るかも知れないキャンデー売りの音は、地獄を連想させるものだったであろう。
騒ぐ子供に仕方なく、この日二度目のお小遣い・・・となるのである。
アイスキャンデーと言っても今ほど美味しいものではなく、甘さ控えめのダイエット用みたいで、理科の実験の時に作った試験管アイスほどのものだったが、氷なんて他に無いのだから皆飛び付いたものだ。
中学生時代になってようやく駄菓子屋でアイスクリームやアイスモナカなども買うことが出来るようになり、名糖のホームランバーや井村屋のあずきバーなどが人気を呼んだ。
それでもその時代はまだ電気冷凍庫ではなく、ドライアイスの冷蔵庫しかなかったのである。
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by yoas23 | 2006-08-02 07:29 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び  粉を食べる① 炒り粉 (こうせん)

炒り粉(こうせん)と聞いても「はて何のことやら?」と思われる人も多いだろう。
それも御尤もでネット検索してもなかなか出来ない。
実ははったい粉のことであり、関東では麦焦がしの名で知られているものである。
大麦を炒って粉に挽いたもので、昔は袋に入れて八百屋や菓子屋などで売られていた。
食べるのは夏の季節であることが多く、砂糖を多目に入れよく混ぜて食べるのであるが、粉っぽいため喉に詰まらせることもあった。
食べ残すと母から「虫が来る」と嫌われたが、確かに穀物なので直ぐにカツオブシムシの様な甲虫が集まってきた。
容器からスプーンで掬って食べていたが、兄弟で笑わすことがあり、吹き出して辺り一面に粉を撒き散らし、またもや母から怒られることに・・・。
また他の食べ方として少量の水で練って団子状にして食べたりもしたが、お湯で練ると香ばしい香りがしてより一層食欲をそそったものだ。
今では袋入りのものは売っていないような気がするが、乾物屋か穀物屋では手に入るかも知れない。
探し出して昔を味わってみるのも一興かな?。
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by yoas23 | 2006-07-31 11:28 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 水浴び

夏休みに入ると色々な楽しみがあるが、水浴びもその一つであった。
昭和30年代の飛騨にはプールがある学校は無く、河川の深みが唯一の水泳場であり、それは父兄の手によって木材等で堰き止められ、適当な深さになっていた。
学校ではそれぞれの地域で場所を指定していたが、こっそりと隣の水泳場にも行ってみたりしたものである。
当時、水着などは有るはずも無く、男子は手ぬぐいをベルトで締めた褌スタイル、女子はシュミーズで泳いでいたものであり、今思えば可笑しい姿であるが、皆が同じ格好をすれば恥ずかしさ知らずである。
更衣室もなく、その辺の草むらで着替えると急いで水に入る。アマといって大きな水中眼鏡は息で曇るため、ヨモギを潰してその汁を塗る。また耳栓代わりに使うのも草の葉を丸めたもの。
上級生からの教えで課外授業は身を持っての体験の場となる。
白い手頃な石を沈め、潜ってそれを探してみたり、ヤス(モリのこと)を使って小魚を突いたり、息を止めてどれだけ遠くまで泳げるかの競争と、次から次にと遊びは続いた。
気が付けば唇は紫色、その後は岩上で寝そべるトドの群れとなる。
見上げれば蒼い空と入道雲が白く輝き目に痛い。何処からとも無くアブラゼミの声と夏草の香りがする。
夏休みの残りの日数を数え、満足な時を過ごしたものである。
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by yoas23 | 2006-07-24 20:02 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び オリエンタルカレーの宣伝カー

昭和の30年頃はよく宣伝カーなるものが高山の町にも来たものだ。
製菓会社「カバヤ」の大きなカバの形をした自動車は意表を付いたが、今でも脳裏に過ぎるのはオリエンタルカレーの宣伝カーである。
4t車ほどの車を現在の街宣車のように改造したもので、西部劇風の装いのテンガロンハットを被ったお姉さんが白い手袋の手を振っていた姿は今でも鮮明に残るのである。
車には大きな拡声器が取り付けられていて、おなじみの「あの曲」が町中にと響き渡った。
興奮した子供たちは風船を貰いたくて、何時までも車の後を追いかけたものである。

懐かしい「あの曲」このページで聴くことが出来る。
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by yoas23 | 2006-07-08 06:14 | 飛騨の昔遊び