カテゴリ:飛騨の昔遊び( 77 )

飛騨の昔遊び 七夕祭り

明日は七夕の日であるが、桃の節句、端午の節句に続いて七夕も飛騨では月遅れで、実際には8月の7日がその日に当たる。
飛騨でも昔から家の軒先に竹飾りを飾る習わしがあった。
七夕の朝、近在からリヤカーで長さ4~5mほどの竹を売りに来る、そっれを買ってその後お決まりの駄菓子屋へ走る。
色紙と七夕飾りセットなるものを買い込んで、半日飾りに費やす。
色紙は適当な短冊に切って願い事を書いたり、また輪状に繋ぎ合わせて竹の葉に巻く。
セットの中には色テープや織姫、彦星を模ったものや星型のものなどあり、素人では作れないものがあり、飾りを一層豪華なものにしてくれる。
夜は待ってましたと花火を楽しむ。竹飾りは翌日に持ち越すことなく焼いてしまうのが普通であった。
最近では飾りに手間が掛かることや、後片付けの煩わしさから飾りをする家が少なくなってしまったようだ。

良かったらこちらを覗いて見て下さい。
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by yoas23 | 2006-07-06 10:33 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 蛍狩り

飛騨にはゲンジボタル、ヘイケボタルのどちらもいて、6月の下旬頃から飛び出す。
今は昔のように乱舞する所も少なくなったが、昔は蛍狩りが当たり前で、子供たちは連れだって夜の闇中へと向かって行った。
手には団扇や竹箒と虫篭を、タモを持っている子供は少なかったが、幸い田んぼの畦などには低い所に止まっているものもいて、簡単に素手でも捕まえることが出来た。
口々に「♪ほー・ほー・ホタル来い!、あっちの水は苦いぞ~、こっちの水はあ~まいぞ~」と唄いながら歩いて行く。
ホタル籠の中には湿らせた草を入れて、その中に捕まえたホタルを入れると、篭はたちまちランプのように明るく見えた。
また篭の中を覗き込むと、ホタル独特の鼻を突くような匂いがしたが、それはまた何時までも記憶に残る匂いだった。
蛍狩りは夜の冒険だったが、何時も犠牲者が出たもので、たいがい一人や二人は夢中になってしまい、小川や田んぼに落ちる結果となった。
今ではホタルを保護をしている所が多く、蛍狩りが出来るような場所は無くなったようだ。
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by yoas23 | 2006-07-04 06:10 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び にくだん

図を見ると何だか宝島の地図のようであるが、これが「にくだん」をする時に必要な図で、天気の良い日は学校のグランドや公民館の空き地など、土の上に描いて遊んだものだ。
棒切れか夏の晴れた日はジョーロで水を流して描いていたが、曲線だけで斜線の部分は陣地を示すためのもので描かない。
遊び方は至って簡単。二人で遊ぶことが普通で、一方が上の入り口から曲線の道沿い(白い部分)を走り、下の島の先端の●に置いた「宝物」を取って再び曲線の道を辿り、出口(元の入り口)まで戻ってくるというもの。
ただ、それを阻止しようと斜線の部分に相手がいて、突き飛ばして邪魔をする。
危なくなったら半島のように突き出た部分で一休みし、隙をついて行動を開始する。
危険極まりない遊びで、今なら禁止になること間違い無しだ。
それぞれが自分のエリアから出たら負けであり、武器、道具は何も無いので文字通り「肉弾」のみの戦いである。
今年になって同じ世代の人と懐かしんで回想してみたが、おおよそこんな遊びだったように思う。
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by yoas23 | 2006-06-16 03:11 | 飛騨の昔遊び

アニメのヒーロー エイトマン

昔のテレビは白黒だった。
今の若い人には想像もつかないだろうが、それでも動く画像が我が家で見られることは驚異であった。
夕刻からテレビの前にかじり付いて、チャンネルを変えられないように見張り番をして見たのは、実写の時代劇やアニメであり、ハリマオ、七色仮面なども放映を楽しみに待ったものである。
アニメのエイトマンも人気の番組で、現在のアニメのヒーローのような隠し技は無いが、速く走ることが得意技だったようで、オープニングの場面では新幹線と競争し、追い抜く技も披露している。
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by yoas23 | 2006-06-11 00:31 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 遠足

小学校での遠足は春と秋の二度あり、春は歩いて、秋にはバスを使うことが多く、徒歩の場合は低学年ではせいぜい片道10k程度の近間であり、行き先は公園や名所旧跡が多かった。
先ずは高山市内の城山公園、隣町の千光寺、安国寺、高学年になって少し遠くの四十八滝や美女峠などであり、先生に描いてもらったわら半紙の地図をボール紙に貼り付け首から下げて行進した。
服装は今のようなカラフルなシャツなどあろうものか、大体は学生服のままであり、暑くなれば脱いでカッターシャツ姿が普通であった。
途中では歩きながら「おおブレネリ」や「おお牧場は緑」などの唱歌を合唱しながら歩いたものだ。また中には常に列を乱す者や、棒切れを振り回す子供がおり、そのたびに先生の大きな声が飛んだ。
お弁当はおにぎりが定番。ゆで卵は当時は高級なもので、こんな時にしか食べられなかったので宝物のようで楽しみでもあった。
またおやつとして持って行くのが許されたものは金額で××円まで、ドロップやカルミン、他に夏みかんもあったが、これが何時もおやつの金額に入るかどうかもめたものである。
「みかんはおやつではない!デザートだ!」と言って聞かない子供がいたが、果たして日常にデザートなるものを食していたのだろうか?当時は食べることすら必死な時代である。
5年生の遠足は富山市の呉羽山だったが、それは翌年の修学旅行の予行演習とも言えるもので、ほとんど未知の世界への旅立ちでもあり、その後の行動範囲が広がって行くきっかけとなった。
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by yoas23 | 2006-05-29 04:01 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び アカベロ釣り

イモリのことを飛騨ではアカベロと呼ぶ。
何処でも段々畑の一番奥には、灌がい用の清水を貯めた小さな池があり、ミズカマキリだのゲンゴロウだのが住んでいたが、赤い腹のイモリもまた、子供たちの遊びの絶好のターゲットとなっていた。
その風体は大人であれば気味悪く感じるのだが、子供時代には平気で掴んだりもしたものだ。
今回は面白いアカベロ(イモリ)釣りを紹介しよう。
用意するものは1mほどの楓の細枝1本で、穂先を500円玉ほどの大きさのリングにし、水中のアカベロの頭の先に持って行く。
煩がるアカベロが、輪をくぐろうとして二本の前足を入れた時を見計らい、勢い良く引き上げるとたちまち岡の上の住人になってしまう。
釣り上げたものは缶詰の空き缶などに入れて数を競ったものだ。ただ間違ってもこれを食べるようなことは無く、飽きればまた池に戻すことになるのでご安心を・・・。
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by yoas23 | 2006-05-24 05:33 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 駄菓子屋 ④

都会ではなく山国で少年時代を送った我々は、少年雑誌やラジオ番組によって都会の情報を得ていたが、そのいくつかのネタは実際の生活にそぐわないものであり、例えば「おやつ」もその一つであった。
飛騨では当時「おやつ」なるものを口に出来る上流家庭の子供はほんの少数で、ほとんどは1日5円の買い食いであった。
どちらが良いと聞かれれば、今でも現金の方を選んでしまうのは昔とちっとも変わっていない。
思い起こせば駄菓子屋には色々な商品が並んでいたものだ。
現在でも再現したレトロな駄菓子屋に並ぶ物は当然で、細長いビニールの袋に詰められた粉状の菓子「マンボー」、干した漉し餡を硬く固めた砂糖の衣で包んだ「デベソ」・・・(これは正式な名前ではなかったが皆そう呼んでいた)。
また今では考えられないものに、するめの飴煮(表現が良いかどうか分からないが、硬いするめに砂糖としょうゆで甘辛の飴で絡めたもの)があり、頼めば新聞紙で包んでくれた。
また寒い季節には店先に大きな釜を持ち出し、中の鉄板の上でスライスしたさつま芋を焼いて売っていた。
振り掛けられた粗塩の味が芋の甘さを引き立てていたようで、これも新聞紙で作った袋に入れてくれた。
確か一枚幾らではなく量り売りだったような記憶があるが、当時は尺貫法からメートル法に移行の頃、匁からgに変わって、重さなどわからない子供が多かったので、「5円分くれ」などと注文していた。
駄菓子屋の話は尽きないが、今でもそんな懐かしい店があったら・・・と思う。
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by yoas23 | 2006-05-18 08:56 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 学校給食

戦後間もない頃であったが、我々団塊の世代の小学校時代も学校給食があった。
給食のおばさんという人が学校には居て、入学写真などに見慣れない人が写っていればそれはたいがい給食のおばさんだった。
給食のメニューといえばお馴染み、コッペパンと脱脂粉乳のコンビに、シチューやひじきの煮物などの一品が添えられていた。
脱脂粉乳は不味いとのことで残す子供が多かったが、私は好きで残さず飲んだ。
パンにはマーガリンやチョコクリーム、ジャムなど日替わりで添えられており、物資が乏しい当時、銀紙に包まれた小さな個体は宝物のようにも思えたものである。
その日休んだ子供に給食のパンを届けるのも常であり、近くの者が仰せ付かって放課後届けたものだ。
また、肝油というものがあり、これもまた不人気だったが、幸い我々の頃は糖衣錠になっており、苦味は感じられなかった。
それでも急いで食道を通過させた覚えがある。
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by yoas23 | 2006-05-10 05:00 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 船

春になって温かくなると水遊びがしたくなる。
そこで登場するのが水鉄砲やこの船作りであった。
家の前が製材所ということがあって木屑は何時でも貰いたい放題で、それを活用しない手は無い。
ここでもまた小刀の出番である。
5センチ角、長さ30センチほどの角材を削って船体を作り模型店からスクリューとゴムを買ってくる、彩色を施して完成すればいざ進水式。
側溝を堰き止めてスクリューのねじを巻く、恐る恐る浮かべれば船はスムーズに川上へと進む。
目線を低くして追っかけたものだ。
スクリューには舵が付いており、方向の癖を修正してどれだけでも遠くへ走らす。ここにもまた子供同士の小さな戦いがあった。
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by yoas23 | 2006-04-28 04:42 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 竹馬

竹馬は全国何処でも同じ遊びと思うが、竹製ではなく鉄パイプ製のものも売ってあった。
しかし私たちはもちろん手作りで、そのため足を掛ける場所も任意であり、競って地上1m以上の高さにする者もいた。
乗る時は石垣など高い所を利用して乗り、自慢げに歩いたものである。
同じ1歩でもコンパスの長さの違いから大股になり、そのためスピードが速く気持ちの良いものだったが、コケると悲惨で膝小僧を擦り剥く結果となった。
実際に作って写真を撮れば良いのだが、イラストで・・・。
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by yoas23 | 2006-04-22 03:15 | 飛騨の昔遊び