カテゴリ:飛騨の昔遊び( 77 )

飛騨の昔遊び 相撲の写真

アニメのヒーローが少なかった時代は、ブロマイドや相撲の写真が流行った。
「昔遊び」お馴染みの駄菓子屋には、新聞紙で作った小さな袋に相撲の写真を入れたのがあり、中身が分からないのでくじ気分で選び買ったものである。
栃錦、若乃花、鏡里、千代の山、吉葉山、朝潮など名だたる力士の化粧まわしを付けた雄姿や、取り組みの写真などが入っており、何枚か集めると当然友達と換えっこなどしたものだ。
お気に入りの力士を集めたのだが、特に強い力士と言うわけでもなく、鶴ヶ峰や信夫山も人気があった。
駄菓子屋そのものは現在でも復元?されているが、きっとこうしたものは時代を反映し、今ではもう無いのであろう。
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by yoas23 | 2006-04-17 03:24 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び チョンベス

プロ野球が開幕となった。これから秋まで激しくペナントを争う日が続く。
特別に野球フアンでもないが、今年のWBCでは日本は世界一に輝き、いやでも盛り上がり期待も多い。是非良い試合を見せてもらいたい。
私たちの子供の頃は今のような少年野球も無かったが、柔らかなゴムボールを使って、ルールも基本的には変わらないチョンベスをしたものである。
バットを使わず手のひらで打つので「チョン」、と「ベースボール」が「チョンベス」になったのだろうか。
人数は9人集まらなくても野手を減らし、その挙句2塁を無くしてでも遊ぶことが出来た。それなりの子供の知恵でルールを変え、平手で打ったり拳で打ったり、1塁までの距離もその時々の状況にあわせた。楽しい思い出である。
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by yoas23 | 2006-04-09 07:35 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び サーカス

昭和の中期には高山にも度々サーカスが来た。
「シバタサーカス」「キノシタサーカス」「キグレサーカス」などで、みな「大」の字が付いて、「・・・大サーカス」といった大きな絵看板が事前に市内各地に立ち、一団が来れば我々子供たちは、特別な日を迎えたように色めきだち、そわそわしたものだった。
会場は城山の二の丸グラウンドにテントを張ったこともあるが、朝日町(合併前だから旧市内の朝日町)にあった映画館の高山会館の隣で、今駐車場になっている所の方が多かったようだ。
出し物はもちろん空中ブランコなどのアクロバット、トラ、ライオンの猛獣の調教、大きな球形の櫓の中を乗り回すオートバイ、また箱の中にお姉さんが入り、短剣を刺す手品もあり、それらの演目をピエロが繋いでいた。
最近は来なくなったが、今でもサーカス会社の名前はよく目にするからまだあると思う。
高山では採算が取れなくなってしまったのか?、それとも地元に呼ぶ興行社が無いのだろうか?。たまには子供に夢を運ぶサーカスが来ることを願っている一員である。
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by yoas23 | 2006-04-05 03:38 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 幻燈機

幻燈機の簡単なものは、月刊雑誌の正月号の付録の目玉としてよく使われていた。
ボール紙製の箱を組み立て、レンズの付いた筒を取り付け、60ワットの裸電球を点ければOK。
早速近所の子らを集めての上映会となった。部屋を暗くしてシーツを張った銀幕へと映し出されると「パチ!パチ!」と拍手も聞こえる。
気分は既に映写技師と弁士を兼ねており、夜更けまで繰り返し上映を続けた。
フィルムは当時の漫画のヒーロ達で「赤胴鈴之助」や「月光仮面」などであり、擦り切れるまで繰り返し見たものである。
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by yoas23 | 2006-04-03 09:05 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び ひなまつり

飛騨は桃の節句と端午の節句、七夕まつりは月遅れで行われます。
したがって桃の節句のひなまつりは4月3日です。
一ヶ月ほど前より雛飾りを飾る習慣はもちろんありますが、飛騨高山には土雛という独特のひな人形があり、昔はそれを飾ってある家が多かったものです。
その土雛は現在でも市内で細々と造られていますが、後継者不足とか聞いたことがあります。
粘土を焼いて彩色を施したきれいな人形で、近所の女の子の家では、内裏様、お妃様、三人官女、五人囃子などに、何故か七福神なども一緒に飾ってあったのを思い出します。
ひなまつりは我々男の子には縁の無い行事のように思えますが、どっこいそこは人形飾りを見て歩くという術があったのです。
「ひなさま、見せとくれ、おぞても(「おぞても」とは悪くてもと言う意味で、この場合はたいしてきれいでなくてもという意味)褒めるで」と口々に言っては玄関を開けたものです。
子供のたくらみはただ、人形を見るのではなく、お菓子を貰うことが目的で、少々のお土産のお菓子持参で、それ以上の見返りを期待してのこと、
雛あられの家があれば、高そうな生菓子をくれる家もありで、菓子箱には色々なものが並んだものでした。
そのことを高山では「配りやっこ」といって、ひな祭りの子供の楽しみとなっていました。
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土雛人形 高山市国分寺通りの円空洞にて
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by yoas23 | 2006-04-01 06:50 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び おつかい

大前牛肉店の項で「肉を買って来い」と、お使いに出されたと言ったが、毎回肉ばかり買っていたのではなく、ほとんどは惣菜であった。
その中で時に思い出深いのは「角や」の天ぷらである。
高山市の安川通りを東に上れば大雄寺にぶつかるが、そのすぐ下に天ぷら屋の「角や」はあった。
若達町への角にあることから多分「角や」だったのだろう。店は食料品店で、入り口近くが天ぷらのコーナーであった。
大柄のおばさんが大きな鍋で揚げている芋の天ぷらは、自分の家で揚げるのとは違い黄色い色をしていた。
おそらく専用の粉を使っていたのだろ、柔らかさといい甘さといい、とっても美味しかったのである。
当時は八軒町の方にも美味しい天ぷら屋があったようだが、我が家は角や専門であった。
大人になって、懐かしさのあまり立ち寄ったが、天ぷらはその時既に止められて、普通の食料品店に戻っており、残念に思ったことであった。
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by yoas23 | 2006-03-30 06:59 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 陣地取り

地面とおはじきかガラスの破片、もしくは平べったい小石が一個あれば出来る遊びで、数人の子供が集まれば簡単に出来た。
土の上に3mほどの四角を描いて、先ず四隅に自分の陣地を作るのだが、それは角に親指を当て、ぐるっと中指を回し描かれた四半分の円で、そこからゲームは始まる。
各自交代に手にしたガラスの欠片をその陣地から指で弾き出し、決められた回数で出発地点に戻し、陣地を広げて行く遊びで、回数は少ないほど難しく、あまり遠くに飛ばせば戻すのが困難となるため、仕方なく少しずつ広げて行くことになる。
上手く帰すことが出来たら、ボーナスとしてその先端にまた、親指を支点にして円を描き、それも自分の陣地とすることが出来る。
そうしてどれだけでも広く陣地を獲得した者が勝つのである。
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by yoas23 | 2006-03-29 05:41 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 針穴写真機

春になって単調な雪景色がカラーの世界に変わってくると、こんな遊び道具を使って眺めて見たくなる。
作りは簡単で、筒状の大小の箱を二つボール紙で組み、大きな箱に少さい方がすっぽり隙間無く入るように作るのがコツ。
箱の内部は光が反射しないように黒く墨を塗り、大きな箱の底にはすりガラスを、小さな方は千枚通しで小さな穴を開ける。それだけで完了である。
後は被写体に穴のある方を向け、、箱の間隔を広げたり縮めたりしながら調節する。
ピントが合うと逆さまではあるが、すりガラスに美しい風景が映し出されるのである。
今はこんなものを作る子供も見かけないが、果たして学校で工作の時間は何をしているのだろう?。
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by yoas23 | 2006-03-27 06:29 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 竹スキー

3月も下旬となると飛騨のスキー場もほとんどがクローズとなる。
去年の暮れは大雪に見舞われたことから、雪不足の心配は無かったようだが、何処のスキー場もお客不足は深刻なようである。
箱ぞり、スケート、パンパン下駄、学校のスキー引率などいろいろ書いてきたが、今回の竹スキーで冬の遊びにピリオドを打とうと思う。
今では回想の世界でしかない、竹スキーは二通りあって、太い竹を割って削り先端を曲げたものと、細い竹を綴ってやはり先端を曲げたものなどがあり、前者は高山市で、後者は吉城郡などで使われていたようである。
これらで遊ぶ場合はスキー場ではなく、裏山などの傾斜を利用した滑り台で、これも吉城郡の一部では「すべらこ」とよんでいた。
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遊び方が荒い子供はジャンプなど飛んだため、どちらもそれに耐えられるものではなく、特に細い竹の方はバラバラになる運命となった。
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by yoas23 | 2006-03-24 20:42 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び スズメ撃ち

針金製の市販のものもあったが、簡単な道具なのでこれもよく自分で作った。
木の枝の股になったところを切って乾かし、薬局からゴム管を買ってきて、古くなったベルトを刻んで玉を挟む部品とし、いとも簡単に作ったのだが、スズメはおろか狙ったものには当たらなかった。おそらく腕が悪かったのだろう。
以前紹介の「杉玉鉄砲」などと同じで、子供は飛び道具が好きである。まさか人に向かって撃つことは無かったが、危険と言うことでこれも学校で禁止されてしまった。
今の時代のエア・ガンと同じことだが、事件に発展するような悪いことをする子は少なく、ほんの悪戯で済ませた。
せちがらい現代に比べ、子供も昔はおおらかだったのである。
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by yoas23 | 2006-03-23 06:27 | 飛騨の昔遊び