カテゴリ:飛騨の昔遊び( 77 )

飛騨の昔遊び 日光写真機

小学生時代の月刊誌の付録として日光写真機というものがあった。
写真機といっても今のカメラのように、何でも写すことが出来るのではなく、白黒反転のフィルムが添えられており、それを印画紙に焼き付けるだけのものである。
セットの内容はタバコの箱くらいの大きさの紙の箱にガラスを付けたカメラ本体と、絵が印刷されたフイルム、10枚ほどの印画紙が入っており、印画紙が無くなれば雑誌の出版所から取り寄せることが出来たが、普通はセットの分だけで充分遊ぶことが出来た。
使い方をもう少し詳しく説明すると、カメラの本体とガラス板の間に印画紙とフィルムを挟み、輪ゴムで動かないように止め、ガラス面を日光に当てる。
天気の良い日であれば、2~3分で印画紙に画像が写し出されるというものであった。

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by yoas23 | 2006-03-22 06:02 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び おやつ代わりの赤砂糖

駄菓子屋の項で書いたように、小遣い5円でお菓子も買っていたが、育ち盛りで甘いものが欲しい年頃、それだけでは足りず親にねだったのは言うまでも無い。
井上靖の小説「しろばんば」に出て来る主人公の耕ちゃ(耕作と言う名の愛称)は、伊豆にある土蔵でおぬい婆さんと二人で暮らしており、何時も「おめざ」といって起きがけにお菓子をもらうくだりがあるが、当時の我々には朝の寝床でのおやつなんて、考えられないくらい幸せな光景である。
ねだっても親からは5円以上の出資も無く、仕方が無いので戸棚を漁りようやく砂糖壷を見付ける。
当時、砂糖は白砂糖より赤砂糖といって現在の三温糖の方がポピュラーであった。
戦後になって砂糖は豊富に出回るようになったが、以前は配給だったと聞く。
そんな高価なものと聞けば尚更垂涎の的となる。
親にバレない様に少量を紙に取って舐めるのであるが、少量で満足出来る訳も無く、ついつい大量になってしまい、叱られるのも時間の問題となる。
今では普通に買えば1kg150円程度であろうか、いくらでも舐めることが出来るのだが、昔は卵と並んでなかなか高価なものだった。
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by yoas23 | 2006-03-21 06:43 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び あぶりだし

冬の遊びにあぶり出しの思い出がある。
白い紙にみかんの汁で文字などを書いて乾かし、それを炭火にかざせば「あ~ら不思議!」、書かれた文字が浮かび上がるというもの。
ただ、汁で書いた時点にすでに薄っすらと読める状態であったので、真の暗号とは行かなかったが、それなりに不思議を楽しんだものである。
また何かの薬品であろうか?、雑誌の付録にそんなものがあったが、今探せばそれ以上に使える薬品があるのかも知れない。
しかし紙切れの文書を秘密扱いにする必要も無い現代の実情ではあるが・・・。
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by yoas23 | 2006-03-20 05:38 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 学校のスキー大会

小学校も高学年となると、年に一度学校でのスキー大会があった。
貧しい割にはほとんどの子供がスキーは持っていたような気がする。ただ、今のような立派なものではなく、スキーの形に板を削り先を曲げて塗装を施し、皮革の金具を付けただけのもので、現在では目にすることすら困難な代物である。
当時のスキーは何故か先端に突起のようなものがあったが、おそらく飾りだったのだろう。またそのようなスキー板を単板と呼び、合板製の出回る前のことである。
ともあれ飛騨の子供たちがスキーを持つことが出来たのは、雪国ゆえ他の遊びが少ないため親が買い与えたためであろう。
スキー場へはもちろん歩いて行く訳であるが、その道のりが結構遠い。一時間以上スキーを担いで行くのは骨の折れることであった。
また当時のスキー場にはロッジはあったが、それも1軒のみで我々は利用することは無かった。
お昼には各自持参した弁当を食べるのが当たり前であり、多くは焼いて醤油を付け海苔を巻いた餅(飛騨で言う「付け焼き」)を持参した。
家を出る時は美味しそうだったが、滑って転ぶうちに腰に付けた餅が変形し、また寒さで固くなったものを口にした。
リフトは1機あったが利用は許されず、ひたすらゲレンデをスキーを担いで登った。
今になって思えば何かと不自由な感じがするのだが、それでも当時はスキー大会の日を楽しみに待ったものであった。
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by yoas23 | 2006-03-18 06:33 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 棒野球

今のように物資が豊富ではない時代は、グローブやバットはおろかボールさえも手に入ることは少なく、それでも野球がしたい子供達はあの手この手を考えた。
棒野球は遊び方やルールは違っていたが、数人が集まると出来る遊びで、天気の良い日など近くの広場では歓声が聞かれたものだった。
道具はこれもまたいたってシンプルで、1寸角ほどの角材で長さ30センチほどのもの数本あれば遊ぶことが出来た。
地面に船形の穴を掘り、バッターは角材一本を横に渡し、もう一本の角材を舟形の穴に入れ置いてある棒を引っ掛けて飛ばす。
野手に取られればアウト、取られなければ棒の落ちた場所まで、手にした棒で長さを計り、その回転数がすなわち点数となった。
取られなければゲームは次の展開となり、今度は縦に・・・、更には図のように横棒の上に縦に置き、前を跳ねて空中で叩いて飛ばす高度なテクニックを要するものにとレベルアップした。最後は反対の手にぶら下げたものを飛ばすのだが、これは野手の方も勢いが良すぎて、うっかり手を出せなかった。
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by yoas23 | 2006-03-17 06:54 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 釘刺し

道路が今のように舗装されていない昔は、至る所に土が露出していたものである。
もちろんコンクリートも貴重なもので、家の周りでも玄関先くらいであった。
横丁などの狭い場所でも子供はよく遊んだもので、雨降りの日は何処へ行く当ても無い者同士が集まり、屋根下を選んで釘刺しなどをした。
「釘刺し」とは地面に三角や四角(子供の人数の角数)を描き、それぞれに陣地を決め、そこを出発点とし、線を描いて行くのだが、使うのは5寸釘で、親指と人差し指の間の付け根に釘の笠を挟み、勢い良く地面に向かって振り下ろし、刺されば陣地から線を引くことが出来るが、刺さらなければ線は描けない。
それを交代に行い、蜘蛛の巣のように外側へ向かって線を描いて行くのだが、ただ線を描くのではなく相手が出られないように、狭い間隔で引いて行くことが勝つポイント。
出られない相手は仕方無く敵の線上を狙って打つ。上手く線の上に刺されば、そこから先の相手の線は消せるというもの。
一体誰が考えたのだろうか?、雨が止むまでの時間稼ぎには持って来いの遊びであった。
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by yoas23 | 2006-03-15 19:31 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 竹とんぼ

竹とんぼは工作として自分で作るもので、駄菓子屋にも模型店にも売っていなかった。
小学校の近くに竹屋があり、軒先には何時も青竹が積んであって、放課後に切れ端を買い求めたが、それは孟宗竹は高山の周辺には無く、竹屋以外では手に入らないためであった。
最近の子供たちは、小刀などという物騒なものは持っていないと思うが、昔の子供には重要な道具であり、ちゃんと使い方も心得ており、器用に木や竹を削った。
数十分もすれば、図のような竹とんぼがいとも簡単に仕上がり、友達と競って原っぱで飛ばしたが、飛ばせて遊んだ行為より作る楽しみの方が記憶に残る。
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by yoas23 | 2006-03-14 19:16 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び けん(メンコ)

メンコのことを何故飛騨では「けん」と呼んでいたのかは分からないが、メンコという言葉を知らなかった子供の頃は皆そう呼んでいた。
カッチン玉と並ぶ代表的な遊びで、ほとんど全ての子供がたくさんの「けん」を持っていた。
そしてすることと言えばこれもまた、ギャンブルであり、奪い合いであった。
地面に置かれた相手の札目がけて勢い良く打つ。相手の札が反転すればそれを頂く・・・と言ったものが普通の遊びだった。
叩き付けた時の風圧がものを言うようで、風の行く手を遮るために足を置くことで威力を増すが、
それを「チョ-セン」と言い、「チョーセン」有りか無しかを決めてからの対戦で、無しの場合に行えば反則ということになる、
「井の中の蛙・・・」、日本中同じように遊んだと思うが、名前すら違って呼んでいた昔のこと、他の地域ではもっと面白な遊び方があったのかも?。
けん「メンコ」には丸いもの、長方形のもの、丸くて小さな10円玉ほどのものと色々あり、武者絵やアニメのヒーローなどが描かれていた。
また、長方形のものには厚みの厚い「ばんけん」と呼ぶものがあり、それは無敵の札でもあった。
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by yoas23 | 2006-03-12 06:13 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 土器拾い

縄文土器や矢じりなどは学校や郷土館に展示してあったが、自分で拾い集めたりもした。
家から歩いて数十分の所にそれらが出土する場所があり、時折・・・と言っても畑を耕した後であるが、出かけるのが常であった。お蔭でボール箱一杯になったが、壷など復元できるものは一個もなかった。
しかし矢じりに使われていた黒曜石は飛騨にはなく、遠い所から運ばれてきたもので、当時の流通の大変さが偲ばれる。
最近は土器の畑は住宅街となり、当時の面影から大きく変わってしまった。
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by yoas23 | 2006-03-11 06:36 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び セスナ機の広告ビラ撒き

宣伝の一つの手段として昔よく行われていたのが、セスナ機を使ったビラ撒きである。
市街地というより郊外の空中から撒かれたビラは、写真のL版ほどの小さな紙切れであったが、子供たちはそれを拾い集めるため、夢中で上空を旋回する機を追いかけて、田んぼのあぜ道を走った。
一度に撒かれるのは数百枚程であろうか、それがキラキラと輝いて落ちる様は、まるで宝物でも降って来るかのように見えたものである。
色は違っても、質の悪いワラ紙に印刷してある内容は同じで、多く集めても意味の無いものだったが、子供にとっては何枚集めたかが自慢の種であり、泥で汚れた紙切れを見せびらかしたりもしたが、実際何が書いてあったのか記憶に無い。
またビラ撒きの際飛行機からアナウンスが聞こえたが、これも何を言っているのか聞き取れないようなもので、轟音と風の音にかき消されていた。
現在の世では空中でゴミを撒くようなものであるから、この宣伝法はされないが、今でも飛行機が飛ぶと空を見上げる癖だけが残ってる。
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by yoas23 | 2006-03-09 00:06 | 飛騨の昔遊び