カテゴリ:飛騨の昔遊び( 77 )

飛騨の昔遊び ヤクルトの宅配

この「飛騨の昔遊び」シリーズには遊びとかけ離れたことも登場する。
しかしそれも遠い日のことで今も脳裏に鮮明に残ることであり、昔を懐かしむことには当時の遊び同様でもある。

宅配の定番といえば新聞と牛乳であるが、小学校に入った頃には乳酸菌入り飲料の宅配が流行ってきた。
「ヤクルト」「エルビー」「エリス」など、いずれもよく似たものであり、宅配箱が各戸の玄関に取り付けられた。我が家では「ヤクルト」を取ってくれたのだが、両親の仕事の都合上、小学1年の私は当時1kmほど離れた親戚の家に預けられており、冬の朝白い息を吐きながらヤクルトを取りに実家へ行った思い出がある。
案の定、ヤクルトはカチンコチンに凍っており、それを溶かしながら飲む(食う?)シャーベットの味を私はいち早くその時知ることとなった。
容器は勿論今のようなプラスチックではなくガラス瓶で大、小があり、10円、5円程度であったように覚えている。
「エルビー」「エリス」などはその後姿を消したが、ヤクルトは今でも健在であることは言うまでもない。現在では宅配箱は見なくなったがその代わりヤクルトお姉さんが配達しているようだ。
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by yoas23 | 2006-01-23 06:58 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 正月遊び

「♪・・・お正月には凧揚げて独楽を回して遊びましょう」の童謡にあるような遊びは飛騨では流行らなかった。
独楽回しについてはいずれ触れることとするが、これはお正月の遊びではなく、春、夏、秋・・・何時でも遊び、凧揚げをするには飛騨地方は風が弱い地形からか、また雪の上では揚げにくいことからか、これもまた正月の遊びにはならなかった。
親戚の子供たちがやってきて一緒に遊んだものに、「犬棒かるた」や「すごろく」、「福笑い」などがあり、中にはそれらは手作りのもので遊んだ記憶もある。
またお年玉と一緒に貰ったものに「福引」があり、新聞紙で作った三角形の袋におもちゃやを入れたものや、煎餅の生地を三角に丸めた中にサイコロや小さな大黒様の置物などが入ったものもあり、欲しい物を当てるのが楽しみであった。
その頃の大人はといえば百人一首や花札、マージャンなどを楽しんでいたのを記憶している。
いずれにしても物資が少ない時代、花札など角が擦り切れていたものを使っていた。
居間の天井には大きな松の枝に鶴や的矢、色ガラス玉、千両箱などの色々な飾りを付け、点滅電球でチカチカと光る松飾が飾られ、それはまるでクリスマス・ツリーのように裸電球の部屋に輝いており、その光景は平素の生活とは違い「お正月はいいもんだ・・・」としみじみ思ったものである。
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by yoas23 | 2006-01-21 17:47 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 防空壕遊び

私達の子供時代の遊び場は高山市郊外の田園地帯であり、また現在でも公園となっている城山が日常の舞台であった。
子供はそれぞれに友達数人と自分たちの遊び場所のテリトリーを持っており、四季折々にそれぞれのポイントに出没した。
戦後間もない頃だったので、丘の裾にはいくつかの防空壕が掘られており、それが絶好の遊び場になったのは言うまでも無いが、特に冬の壕の内部は異様に面白かった。それというのも水はけの良い赤土だったせいか、天井から大きなつららがいくつも垂れ下がっており、下は一面に厚い氷で覆われ、氷筍が並んでいて、それはあたかも鍾乳洞に似ていた。
子供たちはその中に入って何するでも無かったのだが、それはいわゆる探検であり、壕中の光景を見ただけでもその目的は達成されていたように思う。
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洞窟の天井にツララが下がった防空壕
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by yoas23 | 2006-01-19 08:55 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び かまくら

昔は今よりもっと雪が積もった記憶がある。最近でも昨年暮れのような大雪もあるが、私達の子供の頃は背丈ほどの雪や凍て付く寒さは普通であった。
冬季に数回の屋根の雪下ろしは大変な作業だが、子供にとってはそれも一つの楽しみとなっていた。
それはかまくら造りが出来ることであり、近所の子供たちがこぞって集まったものだ。
普通のスコップや、当時小型のスコップのようなもので「せんば」と呼び中をくり抜くには最適な道具があり、そんなものを使ってかまくらは仕上げられていった。
夕刻に完成したかまくらにろうそくの火を灯し、七輪で餅を焼いて食べたものだ。
そういえば最近かまくらを目にすることも無くなったが、単に雪が少ないと言うことばかりではなく、昔の遊びが忘れ去られているからに他ならないと思う。
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by yoas23 | 2006-01-18 06:32 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 天体望遠鏡

今なら普通に売っている天体望遠鏡は昔は高山市などではほとんど売っていなくて、現在は無いが本町の百貨店?の「マルエム」の模型、教材売り場にはレンズのみ売られていた。
それであれば子供の小遣いを貯めれば買える範囲のもので、筒は自作ということとなっていた。
ボール紙では感じが出ないので外側に真っ白な紙を張った覚えがある。
天体望遠鏡で見るものといえば勿論天体であるが、一番その効果が確認出来たものは月のクレーターであり、土星の環であり、また木星の衛星であった。
空気の澄んだ冬場が観察の時期に選ばれていたが、美しい夜空を覗くには子供心にも寒さが厳しかったことを覚えている。
図書館にはレンズも自分で磨いて作るための本もあったがそこまではしなかった。
使わなくなった自作の天体望遠鏡はその後壊してしまい、レンズだけは机の引き出しにしまっておいたが、今ではそれも何処かに行ってしまい、思い出だけが残っている。
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by yoas23 | 2006-01-16 06:36 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 杉玉鉄砲

小学生の頃「紙玉鉄砲」というものを作って遊ばれた方も多いと思われるが、飛騨ではこの紙鉄砲というのは少なく、今回の杉玉鉄砲か一斗芋の茎の芯を使ったスッポン鉄砲で遊ぶのが習わしであった。
秋に杉の実が成るのを待って、近くの山から笹の茎を採って来て図のように工作した。杉玉を押し出す棒の部分は針金では弱いため、近くの自転車屋からタイヤのスポーク(当時はゴコと呼んだ)を切って貰いそれを使った。
先ずは紙鉄砲のように筒に最初の玉になる杉玉を押し込め、次に再び玉を押すと、中間の空気が圧縮され、最初の玉が勢い良く飛び出すというもの。
当時学校で流行っていたが、顔に向けて発射する連中が後を絶たず、学校内では禁止となった。
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by yoas23 | 2006-01-13 20:04 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び

新しく「飛騨の昔遊び」なるカテゴリを追加した。
団塊の世代と呼ばれる我々が育つ時代は、物不足で今のようにおもちゃなど買って与えてもらうことなど無く、それでも子供同士知恵を出し合って遊んでいたものだった。
おもちゃは自分の手で作るのが当たり前で、材料は木屑や枯葉、木の実、そのほか何でも手当たり次第・・・で、季節によってブームも移り変わりした。
駄菓子屋で少ない小遣いで買い求めたものは、口に入るものばかりでは無かったことが、戦後も少しは豊かな時代になっていたのであろう。
そんな昔の遊びが風化してしまわないように、昔を懐かしみ思い出してみたいと思う。
これらは戦後間もない頃に飛騨高山で流行った子供の遊びであり、似たような遊びは当時全国にあったことと思うが、飛騨のものを中心とした内容であることは予めご了承願いたい。
先ずは徒然にしたためてみたいと思う。
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by yoas23 | 2006-01-13 19:50 | 飛騨の昔遊び