<   2006年 01月 ( 20 )   > この月の画像一覧

飛騨の昔遊び テレビジョン

現在のようなカラーテレビは無く、白黒のテレビもそう簡単には買えなかった時代。
昭和35年、我が家に初めてテレビジョンが入った。高くてなかなか買えなかった時代だが、近くの電気屋が「子供に相撲でも見せてやってくれ」と言って無理やり置いていったもので、結局は気に入って見ていた私達兄弟のために購入に踏み切った父母。勿論生活も裕福では無かったので、月賦といってローンのことであるが、それで契約したようだ。
それまでは近所のテレビのある家に、友達と連れ立って見せてもらいに行っていたので、自分達が見たい番組などは見られなかったのだが、その後は自由に見られることとなった。
当時の印象に残った番組は当然白黒であったが、「ソニー号の冒険」といってアメリカの番組、「お笑い三人組」「隠密剣士」などで、相撲も楽しみにしていた。
画面の大きさは何インチだったか覚えていないけど、大きく見せるために水を入れたプラスティックのレンズが重たげに画面に被せられ、また見ない時は豪華な緞帳のような垂れ幕が掛けられており、厳かな気持ちで見ていたものである。
c0036317_19574298.jpg

[PR]
by yoas23 | 2006-01-31 19:38 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び キャップのロケット

今の文房具にはアルミの鉛筆キャップってあるのだろうか?、何も彩色しないものが当時の文房具店で普通に売られていた。
誰が発見したのか分からないが、このキャップと学生服のカラー(セルロイド)を使って飛ばすロケットを作ったことがある。
学生服の襟のカラーは寒い時などひび割れてしまうが、これを細かく切ってキャップに詰める。
それからキャップの口の真ん中に小さな穴ほど残し、潰して閉じる。後は火を焚いて暖めれば凄いスピードで飛んで行くというもの。
授業中なんかにコツコツと製作し放課後は皆でそれを持ち寄り、広場などでロケット大会が催された。
ゆうに100m程は飛んだものである。
[PR]
by yoas23 | 2006-01-28 06:44 | 飛騨の昔遊び

飛騨高山 二十四日市

毎年1月24日の高山では二十四日市が開かれる。
これは旧暦の12月24日に、二之町の露天で正月用品を売ったのが始まりとされ、朝市と並び有名な市である。
今の世では正月準備でもないが、それでも多くの市民や近在の人、また観光客で賑わっている。
売られているものの中で特に目を引くのは、昔ながらの「ばんどり」や「しょうけ」で、ばんどりとは藁で作った蓑のこと、しょうけは竹を細く剥いで編んだ笊のこと、いずれも高山市の郊外で作られている民芸品であり昔から続いているものだが、最近は後継者が不足しているという。
私個人的に二十四日市の思い出は、ぶんねもん坂(別院入り口から一之町交差点まで)にある「谷松」で毎年この市の日だけ売られている黒砂糖で、大きな塊を細かく割って売るパフォーマンスに昔からの思い入れがある。
甘いものが不足していた戦後に、子供の憧れとしては充分なものであったようだ。
毎年この市の日は天候が荒れると言うが、今年も穏やかな晴れとは行かなかったようで、氷点下数度の小雪が舞う中、白い息を吐きながら人々が集っていたらしい。
c0036317_6293482.jpg

c0036317_6294631.jpg

c0036317_6295697.jpg

(画像は2001年のもの)
[PR]
by yoas23 | 2006-01-25 06:30 | 飛騨高山 四季の旅

飛騨の昔遊び 箱ぞり

スキーなどの高価なものはなかなか買ってもらえなかった当時の冬の遊びといえば、ソリ遊びが主だった。
それも今のようにカッコ良いプラスチック製のソリがあるはずもなく、これもまた手作りであった。
材料はみかん箱やリンゴ箱(昔は段ボールではなく木製であった)の木っ端で作り、橇足になる部分には各自趣向を凝らした。
何もしないものやブリキを切って貼ったもの。でもそれらのものでは遠くまで滑ることも難しくて、私は鋼鉄製の板を購入し貼り付けて使ったが、これは東小学校の近くにあった「ホウトク」という金物屋で自分が要る分だけ切ってもらい買い求めた。
ソリには取っ手を付け、座る部分は布に藁を包んで座布団状にし、橇足は二本足では速さに遅れをとるため一本足にし、ちょうど図のようなもであった。
箱ぞりにはそれぞれ気に入った名前を書いたが、「目の色号」と書いていた友達がいて、その後は何時もその意味が気になった。
当時の高山はは交通量も少なく、信号機も無い時代、城山の二の丸付近(今の旅館白雲)の辺りからノンストップで海老坂を経由し三町の交差点や味噌買橋(今の筏橋)辺りまで滑った。
舵は自分の足で左右に蹴ることで自在に操ることが出来た。
あの当時の我々が今いたなら間違い無く現代の子供たちのヒーローとなっていたように思う。
c0036317_623369.jpg

[PR]
by yoas23 | 2006-01-24 06:32 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び ヤクルトの宅配

この「飛騨の昔遊び」シリーズには遊びとかけ離れたことも登場する。
しかしそれも遠い日のことで今も脳裏に鮮明に残ることであり、昔を懐かしむことには当時の遊び同様でもある。

宅配の定番といえば新聞と牛乳であるが、小学校に入った頃には乳酸菌入り飲料の宅配が流行ってきた。
「ヤクルト」「エルビー」「エリス」など、いずれもよく似たものであり、宅配箱が各戸の玄関に取り付けられた。我が家では「ヤクルト」を取ってくれたのだが、両親の仕事の都合上、小学1年の私は当時1kmほど離れた親戚の家に預けられており、冬の朝白い息を吐きながらヤクルトを取りに実家へ行った思い出がある。
案の定、ヤクルトはカチンコチンに凍っており、それを溶かしながら飲む(食う?)シャーベットの味を私はいち早くその時知ることとなった。
容器は勿論今のようなプラスチックではなくガラス瓶で大、小があり、10円、5円程度であったように覚えている。
「エルビー」「エリス」などはその後姿を消したが、ヤクルトは今でも健在であることは言うまでもない。現在では宅配箱は見なくなったがその代わりヤクルトお姉さんが配達しているようだ。
[PR]
by yoas23 | 2006-01-23 06:58 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 正月遊び

「♪・・・お正月には凧揚げて独楽を回して遊びましょう」の童謡にあるような遊びは飛騨では流行らなかった。
独楽回しについてはいずれ触れることとするが、これはお正月の遊びではなく、春、夏、秋・・・何時でも遊び、凧揚げをするには飛騨地方は風が弱い地形からか、また雪の上では揚げにくいことからか、これもまた正月の遊びにはならなかった。
親戚の子供たちがやってきて一緒に遊んだものに、「犬棒かるた」や「すごろく」、「福笑い」などがあり、中にはそれらは手作りのもので遊んだ記憶もある。
またお年玉と一緒に貰ったものに「福引」があり、新聞紙で作った三角形の袋におもちゃやを入れたものや、煎餅の生地を三角に丸めた中にサイコロや小さな大黒様の置物などが入ったものもあり、欲しい物を当てるのが楽しみであった。
その頃の大人はといえば百人一首や花札、マージャンなどを楽しんでいたのを記憶している。
いずれにしても物資が少ない時代、花札など角が擦り切れていたものを使っていた。
居間の天井には大きな松の枝に鶴や的矢、色ガラス玉、千両箱などの色々な飾りを付け、点滅電球でチカチカと光る松飾が飾られ、それはまるでクリスマス・ツリーのように裸電球の部屋に輝いており、その光景は平素の生活とは違い「お正月はいいもんだ・・・」としみじみ思ったものである。
[PR]
by yoas23 | 2006-01-21 17:47 | 飛騨の昔遊び

冬の渓間

毎日の通勤時に目にする風景もその日の気象状況によって幾分違って見える。
粉雪が木々の枝に付いて枝先までもが真っ白になると、それはまるで「花咲じじい」の世界のようである。
こんな景色に出会うとついつい寒さも忘れてしまうから不思議である。
流れる渓の水は沈んだ鉛色のようだが、春の日差しが届く頃にはもっと活き活きと流れるに違いない。
c0036317_17462260.jpg

[PR]
by yoas23 | 2006-01-20 17:47 | 日々の発見

飛騨の昔遊び 防空壕遊び

私達の子供時代の遊び場は高山市郊外の田園地帯であり、また現在でも公園となっている城山が日常の舞台であった。
子供はそれぞれに友達数人と自分たちの遊び場所のテリトリーを持っており、四季折々にそれぞれのポイントに出没した。
戦後間もない頃だったので、丘の裾にはいくつかの防空壕が掘られており、それが絶好の遊び場になったのは言うまでも無いが、特に冬の壕の内部は異様に面白かった。それというのも水はけの良い赤土だったせいか、天井から大きなつららがいくつも垂れ下がっており、下は一面に厚い氷で覆われ、氷筍が並んでいて、それはあたかも鍾乳洞に似ていた。
子供たちはその中に入って何するでも無かったのだが、それはいわゆる探検であり、壕中の光景を見ただけでもその目的は達成されていたように思う。
c0036317_17345433.jpg

洞窟の天井にツララが下がった防空壕
[PR]
by yoas23 | 2006-01-19 08:55 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び かまくら

昔は今よりもっと雪が積もった記憶がある。最近でも昨年暮れのような大雪もあるが、私達の子供の頃は背丈ほどの雪や凍て付く寒さは普通であった。
冬季に数回の屋根の雪下ろしは大変な作業だが、子供にとってはそれも一つの楽しみとなっていた。
それはかまくら造りが出来ることであり、近所の子供たちがこぞって集まったものだ。
普通のスコップや、当時小型のスコップのようなもので「せんば」と呼び中をくり抜くには最適な道具があり、そんなものを使ってかまくらは仕上げられていった。
夕刻に完成したかまくらにろうそくの火を灯し、七輪で餅を焼いて食べたものだ。
そういえば最近かまくらを目にすることも無くなったが、単に雪が少ないと言うことばかりではなく、昔の遊びが忘れ去られているからに他ならないと思う。
c0036317_6303788.jpg

[PR]
by yoas23 | 2006-01-18 06:32 | 飛騨の昔遊び

キジ

先日、町内を走行中にキジらしき鳥に出会った。
最初はヤマドリかと思ったが、どうやらよく見るとキジらしい。
雄の場合は簡単にそれと分かるのだが、雌鳥や幼鳥はヤマドリに似ている。
雪が融け掛かけた路肩で何やら盛んに啄ばんでいたが、大雪の中で餌探しもままならないのであろうか、しげく走り去る車にも驚かないで暫く姿を見せてくれて、その後山中へと身を隠した。
c0036317_628733.jpg

c0036317_628412.jpg

[PR]
by yoas23 | 2006-01-17 06:29 | 日々の発見