<   2006年 02月 ( 25 )   > この月の画像一覧

飛騨の昔遊び 市内周りの定期バス

小学生時代の小遣いは1日5円だったと以前に書いたが、その5円で買うものは何時も駄菓子やおもちゃとは限らなかった。時には友達数人と放課後に連れ立ってバスに乗ったりなどもした。
市内を循環するバス路線が何系統かあり、南の山王橋、北の三枝橋、それに西側の山田トンネル周りなどであったが、運賃は子供5円だったので、一日菓子を買うのを止めればバスの旅が出来た訳である。
昔の子供の行動範囲はいたって狭く、自分の縄張りを出ることは隣の縄張りの住人との諍い(いさかい)の危険性もあり?、通常は川を挟んだ向かいの町内すら出かけることも少なかったほどである。
高山駅までは歩いて15分ほど、駅前のバスターミナルから発車するバスはどの方向でも良く、時間も気にせず乗り込む。
我々は何時も最後部の座席を占領し、遠ざかる風景ばかり眺めていた。そんなことが記憶にあるのは、当時は勿論舗装道路ではなく砂利道で、ほこりを立てて走る車窓の様子を覚えているからだ。
山王橋の欄干は木製で三角であったことから、誰言うでもなく「三角橋」とよび、山田トンネルは現在では無いが、高山短大へ抜ける峠にあった。
当時の子供にとって循環バスに乗る意味は、現在では海外旅行にでも行ったようなものであったし、それほどに高山の町を広く感じたものだった。
[PR]
by yoas23 | 2006-02-28 03:55 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 切手の収集

子供の頃の収集癖は別に切手に限ったことではなく、手当たり次第に何でも集めていたような気がするが、特に切手には思い入れがある。
我々がストックブックに切手を貯めていた頃は、ちょうど切手趣味週間の「写楽」や「ビードロを吹く娘」が、また「花切手シリーズ」などが売り出された頃で、発売日の早朝に郵便局に並んでは買い求めた。

(上は「写楽の海老蔵」下は「ビードロを吹く娘」)
c0036317_635395.jpg
c0036317_6355060.jpg

それでもそれより古いものは交換でしか得られなくて、出し渋る相手のご機嫌を伺いながら取り替えたものであった。
なかなか手に入らず、苦労の末加えられたものに、「月と雁」や「見返り美人」などがあるが、年を重ねた荷物と共に押入れにでも眠っているのだろうか?最近目にしていない。

(上は「月と雁」下は「見返り美人」)
c0036317_637135.jpg

c0036317_6372359.jpg

数年前に千葉県の鋸南町を旅したことがあり、菱川師宣美術館?で見返り美人を目にした時は、しばし昔の切手のことを思い出すことが出来た。
[PR]
by yoas23 | 2006-02-27 06:48 | 飛騨の昔遊び

大前牛肉店

飛騨牛が今ほど有名になろうとは昔は想像さえ付かなかった。松坂牛や神戸牛と並んで有名ブランドの仲間入りが出来たのは、県の畜産試験場の情熱と初代の飛騨牛の「安福号」の誕生のお蔭であろう。
それまでも飛騨牛は決して不味いものではなかったが、生産されても地元で消費されるだけで、全国的なランクが付かなかったのだろう。
今はどこのスーパーでも肉は扱っているが、そういった店のない時代は肉は肉屋で買うのが当たり前であった。
市内には数件の肉屋があり、「天狗」「ト一」「「新ト一」それに「大前」などで、現在でもどの肉屋も健在であるが、当時大前精肉店は特に人気を集めていた。
ガラス張りの内側では、店の人が牛肉を切っているのが見られるようになっており、通りを行き交う人々は、大きな肉の塊からスジを引いて細かく切る作業に見とれていたものだった。
誰言うでもなく、「大前の肉は柔らかい」という評判が立ったが、それはこのスジ引きが上手だったということだったのだろう、店はよく賑わっていた。
私の家はあまり裕福ではなかったが、一ヶ月に一度くらいはすき焼きの日があり、そんな時には子供の自分も買い物にかり出された。
売られている肉のランクは上から「上肉」「中肉」「細切れ」それに「スジ肉」などがあり、「中肉を**グラム」といって買ったもので、包みは「きょうぎ」と新聞であり、薄板に滲んだ血の色が妙にすき焼きをなまめかしいものと感じさせた。
今でも大前は昔と同じ国分寺通りと本町通の交差点にあり、ガラス張りの実演も見られるが、名前が大前牛肉店に変わっている。
c0036317_18464266.jpg

[PR]
by yoas23 | 2006-02-25 19:00 | 飛騨高山 四季の旅

パンパン下駄と満州スケート

この題名・・・どちらを聞いても若い人には分からないと思うが、戦後間もない頃の雪遊びの道具である。
以前にも少し触れたと思うが、プラスティックの無い時代の道具と言えば木、竹、それに鉄や銅などが材料になっており、おもちゃもそれらのもので出来ていた。
パンパン下駄とは、孟宗竹を適当な長さに切り、半分に割って角を削って「はな緒」を付けたもので、遊び方はと言えば簡単なもので、足に履いて滑るというもの。
踏み固められた雪の上でスケートのように滑るものだが、歯が二本あるためなかなか曲がることが出来ないのりものであった。

(竹製のパンパン下駄)
c0036317_19342586.jpg

それより少し遅れて出てきたのが満州スケート。こちらはパンパン下駄よりモダンなもので、それなりの値段がしたため、買ってもらえる子供は少なかった。
銀メッキの鉄製の本体に取り付け用の皮のバンドが付いており、長靴に固定することが出来るため、滑る時のパフォーマンスもより向上した。
両の手を後ろで組んで右、左にと雪を蹴って滑る様子はなかなかカッコの良かったものである。

(満州スケート)
c0036317_19391828.jpg

[PR]
by yoas23 | 2006-02-24 19:44 | 飛騨の昔遊び

漬物

長い冬を越すための知恵の一つに漬物がある。
深い雪に閉ざされた山間地では冬の野菜は貴重で、保存食や加工食として蓄えられる。
「赤かぶ」は飛騨を代表する漬物で紅色のかぶらを使用する。葉を付けたまま、また株の部分だけを切ったもの、細かく刻んだものと色々だが、どれも見ただけで食欲をそそる酸っぱさがこみ上げてくる。
温かなご飯に漬物は、田舎の暮らしの風景に無くてはならないものである。
朝市ではこの季節には生野菜が少なく、もっぱら漬物が目に付く。昔は樽から出したものをそのまま売っていたが、最近ではきちんと袋詰めされている。
衛生的には良いのだろうが、素朴な朝市のイメージが壊される気もする。
c0036317_963861.jpg

[PR]
by yoas23 | 2006-02-23 09:12 | 飛騨高山 四季の旅

飛騨の昔遊び 鉱石ラジオとゲルマニュームラジオ

私の子供の頃はトランジスターラジオが、高価なものではあったがすでに存在した。
また中学へ入った頃は、鉱石ラジオやゲルマニュームラジオが普及し、マイ・ラジオを我々子供にも手にすることが出来た。
それも部品を買って自分で組み立てるキットが主流で、製品となったものは幾分高いため、ハンダごてを使って組み立てたのである。
面白いのはケースにはセルロイド製の石鹸箱を使ったことだ。
電池を入れレシーバーを差し込み、試験的に聴いたのはNHK第2放送であり、天気概況の放送が聞こえた時は感激したものだった。
その後は高校生の技術の科目で、真空管のラジオの仕組みなどを勉強したのだが、今になっても何故ラジオが鳴るのか良く分かっていない。
[PR]
by yoas23 | 2006-02-21 17:58 | 飛騨の昔遊び

人力車

高山の町に人力車が走るようになって久しいが、それほど昔からあったものではない。
私の若い頃には無かったから、おそらく30年ほど前からであろう。
三之町の角に停留しておりお客があれば三之町から陣屋へ、また朝市へと運んでくれる。
昔、私も一度乗る機会に恵まれたが、座席に座って一番初めに感じるのは目線が高いと言うことである。
ちょうど乗用車にしか乗らなかった人が、トラックにでも乗った時のような感覚なので、優越感すら感じるのである。それと同時にちょっと照れくささも伴うが、まんざらでもない。
この写真には「さるぼぼ」がまるで、抱き枕のような感じに乗せてあった。
c0036317_180148.jpg

[PR]
by yoas23 | 2006-02-20 18:02 | 飛騨高山 四季の旅

高山陣屋

高山は戦国から江戸初期にかけて城山にお城があったが、如何にも江戸から遠過ぎる上、これと言った産物も無く、幕府としては厄介払として加賀藩に治めさせたが、加賀藩も手が掛かるということから取り壊され、幕府直轄の天領となったことは前にも書いたが、これは高山音頭にも「♪飛騨の高山お城の御番・・勤めかねたよ加賀の衆が・・・」と唄われている。
その後宮川を挟んで反対の西側に高山陣屋が置かれることなり、ゆくゆくは大原騒動など百姓一揆の悲しい出来事の舞台となる。
屋敷の中にはいわゆる代官所の白州や米蔵などもあり、遠き時代を偲ぶことが出来る。
陣屋前の広場は春の高山祭りでは祭り屋台の引き揃えや、また毎日の朝市なども開かれる。
c0036317_21411153.jpg

高山陣屋
[PR]
by yoas23 | 2006-02-17 21:46 | 飛騨高山 四季の旅

再び鶏の燻製

私は燻製を作り始めてもう5~6年ほど経つ。
燻製作りと言うと大変なことと思われそうだが、何も大掛かりな装置が必要ではなく、スモーカーは段ボールでも出来る。
私の場合は小さなステンレス製のスモーカーで、ホームセンターで買ったもので、メインの食材は鮭から鶏肉、卵、たこ、帆立など何でもであるが、特にこだわりと言えば塩である。
燻製は香辛料と塩が主な調味料であり、特に塩は重要な役割を果たす。普通の食塩を使っても出来るのであるが、私の場合「モンゴルの岩塩」を使っている。

(モンゴル産の岩塩)
c0036317_16433876.jpg

以前、東京のアメヤ横丁で買ったものが無くなり、その後はネットで探して通販で購入しているが、塊であれば1㎏で800円ほどで決して高いものではない。
一見氷砂糖のような半透明の塊で褐色の不純物も含んでおり、舐めると甘みが感じられる。
本来、塩とはそういった物なのだろう。しょっぱさの中に甘みと旨味が備わり、それだけで淡白な味の主食が食べられる。
昔、「あじしお」なるものが最初に発売された頃、ご飯にふり掛けてお茶を注いで食べたことがあるが、それだけで充分であった。
もちろん、育ち盛りの不味いもの喰いの頃だったから、何でも美味く感じたのだが、これがまた特に口に合った。
料理は好きでよくするが、美味しいものを作るには先ずは塩加減、それに出汁の味加減、後は程良い硬さ(歯ざわりと火の通り具合)の3点であると何時も心がけている。
もちろん素材の云々は重要なのだが、腹を空かせた者には食べられるものであれば何でも良い。
特に大切なものは塩加減なのである。辛過ぎるととても食べられたものではないし、逆に塩気が無ければ食が進まない。
それほど塩は食に無ければならないもの、こだわるのも当然のことと思う。

(若鶏の燻製)
c0036317_16435747.jpg

そんなモンゴルの岩塩で若鶏丸々一羽の燻製を作った。
普通はモモ肉だけを使うのでレシピも通常で良いのであるが、一羽となると少し違ってくる。
燻製の作り方の本を参考にしたが、モモの付け根の部分が生で火が通らない。
仕方なくいくつか自己流に変えてみた。特に湯煎にかける温度と時間であるが、80℃の1時間に変更してから上手く出来るようになった。
教科書通りでは時に失敗し、なかなか成功しないことを改めて知ることとなった。
[PR]
by yoas23 | 2006-02-16 16:48 | 食いしん坊

飛騨の昔遊び 雪すべり

「雪すべり」ってなんだ?と思われる方がほとんどだと思う。
私達の子供時代はとにかく色々なものを使って遊びを考えたものだ。雪が降れば宿題はそっちのけで、雪玉合戦やかまくら造り、ソリやスキーと、遊びに足らないのは時間だけという生活をしていた。
幼少の頃住んでいた裏山の天辺まで雪をこざいて(押し分け)登り、麓まで尻で滑るだけの単純なものが「雪すべり」で、自分達はそれをエレベーターとよび、近所の仲間と連れ立って楽しんだものであった。エレベーターの下降する時の「ふわ~」とした感覚が似ていたからだ。
当時の積雪は現在より多く、子供の背丈など越えるくらいが当たり前で、登るのには随分苦労をしたが、滑り出すとこれがまた快感であり、何度も登り降りを繰り返す。
そのうち背中に雪が入って、だんだん服が冷たく湿ってきていつの間にか解散・・・ということになり家に帰って、親に叱られながら濡れた服と身体を炬燵で乾かしたものである。
[PR]
by yoas23 | 2006-02-16 07:53 | 飛騨の昔遊び