<   2006年 03月 ( 29 )   > この月の画像一覧

新井製麺所

別館の「気まぐれカメラ日記」には、何時も気に入ったラーメン屋などを紹介しているが、気まぐれ・・・の方は画像が一枚しか貼れないため、どんぶりの絵だけになってしまう。
こちらは画像は何枚でも貼れるのだが、容量の残りも少なくなってきて、後先を考える頃となってしまった。
それでも「新井製麺所」の様子を伝えたくて、こちらでも取り上げることとした。
うどんについてはリンクの「気まぐれカメラ日記」をご覧頂くとして、お店の外観だけ紹介しておこう。
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見ても分かるとおり、うどん屋というよりやはり製麺所である。入り口も暖簾が下がっている訳でもなくはっきり分からず。ほんとに常連だけが通う店の感じである。
しかし、何処から聞いて来たのか、最近は観光客の姿もちらほら見られるようになった。
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by yoas23 | 2006-03-31 06:36 | 飛騨高山 四季の旅

飛騨の昔遊び おつかい

大前牛肉店の項で「肉を買って来い」と、お使いに出されたと言ったが、毎回肉ばかり買っていたのではなく、ほとんどは惣菜であった。
その中で時に思い出深いのは「角や」の天ぷらである。
高山市の安川通りを東に上れば大雄寺にぶつかるが、そのすぐ下に天ぷら屋の「角や」はあった。
若達町への角にあることから多分「角や」だったのだろう。店は食料品店で、入り口近くが天ぷらのコーナーであった。
大柄のおばさんが大きな鍋で揚げている芋の天ぷらは、自分の家で揚げるのとは違い黄色い色をしていた。
おそらく専用の粉を使っていたのだろ、柔らかさといい甘さといい、とっても美味しかったのである。
当時は八軒町の方にも美味しい天ぷら屋があったようだが、我が家は角や専門であった。
大人になって、懐かしさのあまり立ち寄ったが、天ぷらはその時既に止められて、普通の食料品店に戻っており、残念に思ったことであった。
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by yoas23 | 2006-03-30 06:59 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 陣地取り

地面とおはじきかガラスの破片、もしくは平べったい小石が一個あれば出来る遊びで、数人の子供が集まれば簡単に出来た。
土の上に3mほどの四角を描いて、先ず四隅に自分の陣地を作るのだが、それは角に親指を当て、ぐるっと中指を回し描かれた四半分の円で、そこからゲームは始まる。
各自交代に手にしたガラスの欠片をその陣地から指で弾き出し、決められた回数で出発地点に戻し、陣地を広げて行く遊びで、回数は少ないほど難しく、あまり遠くに飛ばせば戻すのが困難となるため、仕方なく少しずつ広げて行くことになる。
上手く帰すことが出来たら、ボーナスとしてその先端にまた、親指を支点にして円を描き、それも自分の陣地とすることが出来る。
そうしてどれだけでも広く陣地を獲得した者が勝つのである。
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by yoas23 | 2006-03-29 05:41 | 飛騨の昔遊び

ノカンゾウ

何の変哲も無い普通の草に見えるが、夏には橙色のユリの花を付ける。
山里の畑の傍らや土手などでよく見かける植物である。
子供の頃はこの葉っぱを10cmほどに千切り、口に咥えて鳴らしたもので、その音から「ピー・ピー菜」と呼んだ。
花蕾は特に食用になるということで食べたことがあるが、歯ざわりは良いもののあまり美味しいものではなかった。
雪が融けて日当たりの良い場所ではもうこんなに緑鮮やかな草が見られるが、春とはいいもんだな~とつくづく思う時だ。まっすぐ伸びた葉は生命力の強ささえ感じさせる。
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高山市丹生川町にて
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by yoas23 | 2006-03-28 06:25 | 野山の花

飛騨の昔遊び 針穴写真機

春になって単調な雪景色がカラーの世界に変わってくると、こんな遊び道具を使って眺めて見たくなる。
作りは簡単で、筒状の大小の箱を二つボール紙で組み、大きな箱に少さい方がすっぽり隙間無く入るように作るのがコツ。
箱の内部は光が反射しないように黒く墨を塗り、大きな箱の底にはすりガラスを、小さな方は千枚通しで小さな穴を開ける。それだけで完了である。
後は被写体に穴のある方を向け、、箱の間隔を広げたり縮めたりしながら調節する。
ピントが合うと逆さまではあるが、すりガラスに美しい風景が映し出されるのである。
今はこんなものを作る子供も見かけないが、果たして学校で工作の時間は何をしているのだろう?。
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by yoas23 | 2006-03-27 06:29 | 飛騨の昔遊び

長寿水

都会へ旅した時つくずく思ったのは水の不味さ。毎日美味しい水を頂いている我々は、それが当たり前になっているから、その有り難味を知るため、時々は不味い水の体験も必要だと思う。
それでも最近の高山市の水道水は昔のように清冽な感じがしないように思う。
水源地が変わったり、カルキの使用によるものだろうが、味そのものも変わってきているように思う。
それでも今の水道水で充分であり、コンビニではミネラルウオーターが普通に売られているが、高山市に住む者にとっては、どうしても買わなければいけないものでもないような気がする。
それくらい普通の水道で大丈夫なのである。
それでも飛騨各地にある湧き水となれば話も別で、特に今回の長寿水は石灰岩地質からの湧き水であるため、まったくのミネラルウオーターであり、それも豊富に流れ出て、汲まなければ勿体無いほどである。
高山市丹生川町小野地区の有志の方々により、水汲み場が作られたのは数年前で、以後、昼間であれば誰か彼か水汲みの人に会う。遠く県外の人も多い、それほど有名になったのは国道端と言うこともあるが、やはり水の美味しさからの口コミであろう。汲み置いた水は1週間どころかそれ以上腐らないで持つ。
ここの水で炊いたお米、入れたお茶やコーヒーは本当に美味しいのである。
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by yoas23 | 2006-03-25 18:22 | 飛騨高山 四季の旅

飛騨の昔遊び 竹スキー

3月も下旬となると飛騨のスキー場もほとんどがクローズとなる。
去年の暮れは大雪に見舞われたことから、雪不足の心配は無かったようだが、何処のスキー場もお客不足は深刻なようである。
箱ぞり、スケート、パンパン下駄、学校のスキー引率などいろいろ書いてきたが、今回の竹スキーで冬の遊びにピリオドを打とうと思う。
今では回想の世界でしかない、竹スキーは二通りあって、太い竹を割って削り先端を曲げたものと、細い竹を綴ってやはり先端を曲げたものなどがあり、前者は高山市で、後者は吉城郡などで使われていたようである。
これらで遊ぶ場合はスキー場ではなく、裏山などの傾斜を利用した滑り台で、これも吉城郡の一部では「すべらこ」とよんでいた。
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遊び方が荒い子供はジャンプなど飛んだため、どちらもそれに耐えられるものではなく、特に細い竹の方はバラバラになる運命となった。
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by yoas23 | 2006-03-24 20:42 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び スズメ撃ち

針金製の市販のものもあったが、簡単な道具なのでこれもよく自分で作った。
木の枝の股になったところを切って乾かし、薬局からゴム管を買ってきて、古くなったベルトを刻んで玉を挟む部品とし、いとも簡単に作ったのだが、スズメはおろか狙ったものには当たらなかった。おそらく腕が悪かったのだろう。
以前紹介の「杉玉鉄砲」などと同じで、子供は飛び道具が好きである。まさか人に向かって撃つことは無かったが、危険と言うことでこれも学校で禁止されてしまった。
今の時代のエア・ガンと同じことだが、事件に発展するような悪いことをする子は少なく、ほんの悪戯で済ませた。
せちがらい現代に比べ、子供も昔はおおらかだったのである。
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by yoas23 | 2006-03-23 06:27 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び 日光写真機

小学生時代の月刊誌の付録として日光写真機というものがあった。
写真機といっても今のカメラのように、何でも写すことが出来るのではなく、白黒反転のフィルムが添えられており、それを印画紙に焼き付けるだけのものである。
セットの内容はタバコの箱くらいの大きさの紙の箱にガラスを付けたカメラ本体と、絵が印刷されたフイルム、10枚ほどの印画紙が入っており、印画紙が無くなれば雑誌の出版所から取り寄せることが出来たが、普通はセットの分だけで充分遊ぶことが出来た。
使い方をもう少し詳しく説明すると、カメラの本体とガラス板の間に印画紙とフィルムを挟み、輪ゴムで動かないように止め、ガラス面を日光に当てる。
天気の良い日であれば、2~3分で印画紙に画像が写し出されるというものであった。

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by yoas23 | 2006-03-22 06:02 | 飛騨の昔遊び

飛騨の昔遊び おやつ代わりの赤砂糖

駄菓子屋の項で書いたように、小遣い5円でお菓子も買っていたが、育ち盛りで甘いものが欲しい年頃、それだけでは足りず親にねだったのは言うまでも無い。
井上靖の小説「しろばんば」に出て来る主人公の耕ちゃ(耕作と言う名の愛称)は、伊豆にある土蔵でおぬい婆さんと二人で暮らしており、何時も「おめざ」といって起きがけにお菓子をもらうくだりがあるが、当時の我々には朝の寝床でのおやつなんて、考えられないくらい幸せな光景である。
ねだっても親からは5円以上の出資も無く、仕方が無いので戸棚を漁りようやく砂糖壷を見付ける。
当時、砂糖は白砂糖より赤砂糖といって現在の三温糖の方がポピュラーであった。
戦後になって砂糖は豊富に出回るようになったが、以前は配給だったと聞く。
そんな高価なものと聞けば尚更垂涎の的となる。
親にバレない様に少量を紙に取って舐めるのであるが、少量で満足出来る訳も無く、ついつい大量になってしまい、叱られるのも時間の問題となる。
今では普通に買えば1kg150円程度であろうか、いくらでも舐めることが出来るのだが、昔は卵と並んでなかなか高価なものだった。
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by yoas23 | 2006-03-21 06:43 | 飛騨の昔遊び