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飛騨の昔遊び  粉を食べる① 炒り粉 (こうせん)

炒り粉(こうせん)と聞いても「はて何のことやら?」と思われる人も多いだろう。
それも御尤もでネット検索してもなかなか出来ない。
実ははったい粉のことであり、関東では麦焦がしの名で知られているものである。
大麦を炒って粉に挽いたもので、昔は袋に入れて八百屋や菓子屋などで売られていた。
食べるのは夏の季節であることが多く、砂糖を多目に入れよく混ぜて食べるのであるが、粉っぽいため喉に詰まらせることもあった。
食べ残すと母から「虫が来る」と嫌われたが、確かに穀物なので直ぐにカツオブシムシの様な甲虫が集まってきた。
容器からスプーンで掬って食べていたが、兄弟で笑わすことがあり、吹き出して辺り一面に粉を撒き散らし、またもや母から怒られることに・・・。
また他の食べ方として少量の水で練って団子状にして食べたりもしたが、お湯で練ると香ばしい香りがしてより一層食欲をそそったものだ。
今では袋入りのものは売っていないような気がするが、乾物屋か穀物屋では手に入るかも知れない。
探し出して昔を味わってみるのも一興かな?。
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by yoas23 | 2006-07-31 11:28 | 飛騨の昔遊び

ナデシコ

一般にはカワラナデシコと呼ばれ、野原や荒地、川原などに見られる夏の花です。
何処にでもある花で珍しさは無いですが、深く切れ込んだ花弁は印象的ですね。
日当たりの良い場所を好むようで、夕立前の酷暑に耐えて咲いている様は美しいものです。
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静岡県富士宮市にて

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↑こちらは珍しいナデシコの白花
高山市にて
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by yoas23 | 2006-07-31 03:56 | 野山の花

赤い欄干 中橋

高山市の観光の中心と言えば古い町並みの三町から朝市の陣屋辺りだろう。
それらのある川東と川西を繋ぐいくつかの橋は、それぞれに歴史がある。
中橋も随分昔から欄干は赤く塗られているが、それが何故なのかは聞いたことが無い。
郷土館にでも行って調べてみれば分かるかも知れないので、分かり次第また報告することにしよう。
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↑川東より見た橋 宮川の清流が美しい

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↑橋を渡る市内観光のバス

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↑橋より上流を見る 正面の柳の下辺りは昔の子供の水泳場だった
(以前に中橋と城山では冬の風景を紹介したので、そちらも併せてご覧頂ければ幸いです)
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by yoas23 | 2006-07-30 07:23 | 飛騨高山 四季の旅

タマゴタケ

テングダケの仲間には毒キノコが多いです。
このタマゴタケもベニテングタケに似て真っ赤、「さぞかし強い毒だろうな」と思いきや、実はこれは食べられるのです。
特有の毒々しい色も、茹でると何事も無かったかのように薄い黄色に変わり、まるで科学の実験でも見るようです。
秋早くに出るきのこで毎年見られますが、食べたことは今迄2度のみ。
余りにもの鮮烈なイメージに、最初からは手が出せなかったのも事実。しかし食感はしっかりした歯ごたえで、食べてみれば美味しいきのこでした。
とてもラーメンの具などでは勿体無い、今度は主役に使ってやろうtp思います。
名前のタマゴとは幼菌の時、壷に包まれた様子がまるで卵のように見えることから来ています。
その殻(壷)が割れて中から赤い傘の色がが覗けば、タマゴタケと確認出来るのです。
通常は卵型のものから開いたものまで数本が、一箇所に生えていることが多いものです。
ただ猛毒のベニテングタケにはくれぐれもご注意を。見分け方はタマゴタケは傘の縁に放射状に黄色い線が見られること。
またベニテングタケのような白い壷の片鱗が傘に付いていい無いことで区別できます。
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高山市松之木町にて
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by yoas23 | 2006-07-29 00:44 | きのこ

暑中お見舞い申し上げます

ようやく梅雨明けの便りも聞かれるようになりました。
少し遅れて夏が来たという感じですが、しばらくは暑い日が続きますね。
めげずに頑張りましょう。
そこで一服の清涼剤になればと思い、在庫から春の乗鞍の写真を載せます。
見た目で涼しさを味わって頂ければ・・・と思います。
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↑魔王岳から見た槍、穂高方面のパノラマ


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↑大黒岳より見る剣が峰方面

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↑畳平より遠く白山を望む
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by yoas23 | 2006-07-28 06:01 | 飛騨高山 四季の旅

ヒグラシ

梅雨明けの声を聞くと明るい空に蝉時雨を思い出します。
夏至から既に一ヶ月が経ちましたが、夕方の明るさを一番感じるのはこの季節でしょう。
そのせいか「カナカナ・・・」と涼しげに鳴くヒグラシの声が何時までも賑やかです。
真昼のアブラゼミやミンミンゼミ等のような騒々しさはなく、どこか物悲しくさえ感じますね。
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自宅裏にて
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by yoas23 | 2006-07-27 07:21 | 昆虫

飛騨民俗村 飛騨の里 ①

飛騨各地にあり、取り壊しの運命にあった古い民家を、一堂に集めた施設が「民俗村ひだの里」で、
昭和46年に飛騨民俗村として高山市内に開村し、今年で35周年となります。
白川村の合掌造りや山間の在(ざい)の庄屋の屋敷、くれ葺きの屋根の家や炭焼き小屋、杣小屋、水車小屋まであり、
懐かしさを感じると共に、昔の暮らしを知るための教材となっています。
二十数軒の大小の建物を見て回るのには結構な時間を要しますが、
館内では四季折々に色々なイベントが行われるので、行事に合わせて出かけられることをお勧めします。

飛騨民俗村ひだの里の公式ページはこちらです

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↑館内に入ると大きな池(五阿弥池)が目に付きますが、そこからの眺めは圧巻です。

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↑五阿弥池のいわれを記した立て札

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↑旧新井家の囲炉裏端

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↑合掌造りの内部(旧若山家二階)

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↑釘を使わない内部の造り(旧若山家)

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↑合掌造り二階の窓より見下ろすくれ葺きの屋根

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↑合掌造りのたたずまい(旧西岡家)

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↑展示の民具

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↑苔むした屋根が緑に溶け込んで・・・

高山市 飛騨の里
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by yoas23 | 2006-07-26 19:31 | 飛騨高山 四季の旅

飛べない昆虫 コブヤハズカミキリ

昆虫は4枚の羽根と6本の足があると習った。
羽根があるからには飛べるはずであるが、このカミキリムシは飛ぶことが出来ない。
何故なら上翅はあるが下翅が退化して無いのである。
だから移動手段はただ歩くことのみ。
従って行動範囲も狭くなり、そう言った場合は進化も独自のものとなってくるため、各地で多くの亜種となり長い年月には種が変わってしまうのである。
タニグチコブヤハズ、マヤサンコブヤハズ、フジコブヤハズなどが代表的な種であろうか。
この昆虫は秋には枯葉に包まるという不思議な習性があり、ヤマブドウやノリウツギなどの枯葉を叩くと転がり落ちる。
それにしても空を飛んでみたいと夢見る人間がいると思えば、飛ぶことを放棄した昆虫がいる。
インタビュー出来るものであれば何故なのか、その訳を聞いてみたいものである。
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画像のものはマヤサンコブヤハズカミキリ
飛騨市神岡町にて
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by yoas23 | 2006-07-25 19:03 | 昆虫

飛騨の昔遊び 水浴び

夏休みに入ると色々な楽しみがあるが、水浴びもその一つであった。
昭和30年代の飛騨にはプールがある学校は無く、河川の深みが唯一の水泳場であり、それは父兄の手によって木材等で堰き止められ、適当な深さになっていた。
学校ではそれぞれの地域で場所を指定していたが、こっそりと隣の水泳場にも行ってみたりしたものである。
当時、水着などは有るはずも無く、男子は手ぬぐいをベルトで締めた褌スタイル、女子はシュミーズで泳いでいたものであり、今思えば可笑しい姿であるが、皆が同じ格好をすれば恥ずかしさ知らずである。
更衣室もなく、その辺の草むらで着替えると急いで水に入る。アマといって大きな水中眼鏡は息で曇るため、ヨモギを潰してその汁を塗る。また耳栓代わりに使うのも草の葉を丸めたもの。
上級生からの教えで課外授業は身を持っての体験の場となる。
白い手頃な石を沈め、潜ってそれを探してみたり、ヤス(モリのこと)を使って小魚を突いたり、息を止めてどれだけ遠くまで泳げるかの競争と、次から次にと遊びは続いた。
気が付けば唇は紫色、その後は岩上で寝そべるトドの群れとなる。
見上げれば蒼い空と入道雲が白く輝き目に痛い。何処からとも無くアブラゼミの声と夏草の香りがする。
夏休みの残りの日数を数え、満足な時を過ごしたものである。
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by yoas23 | 2006-07-24 20:02 | 飛騨の昔遊び

野麦峠

山本茂実の小説が映画化されて有名になった「野麦峠」である。
昔、養蚕事業が盛んな頃、飛騨から信州の岡谷へ糸紡女工として、多くの娘達がこの峠を越えた。
大した産業も無く土地も寒冷で、貧しい生活から口減らしのための出稼ぎである。
しかし若い娘達の冬の峠越えは大変で、谷底に落ちるものや疲れて歩けなくなる者もいて、大変だったようである。
また中には重労働から身体を壊し病に伏せる者もあり、それが悲話となったようだ。
峠の辻には昔から茶店があり、疲れ切った旅人には有り難い存在で、その名もお助け小屋と言う。
飛騨と信州の間には飛騨山脈(北アルプス)が聳えており、行く手を阻まれるのだが、野麦峠の地形は比較的なだらかなため、古くから使われていた道(江戸街道)である。
高山を経由することからその名の付いた富山湾のブリ「飛騨鰤」も、ここを通って信州へと運ばれたのである。
広場には「あゝ野麦峠」の主人公になった政井みねの像もある。
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↑お助け小屋   ↓政井みねの像

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高山市高根町
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by yoas23 | 2006-07-24 06:02 | 飛騨の国紹介